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清文鑑から『蒙文総彙』へ

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发表于 2012-7-10 14:04:31 | 显示全部楼层 |阅读模式
清文鑑から『蒙文総彙』へ
- 近代モンゴル語辞典の成立過程 -
栗 林 均*

はじめに
今日、「清文鑑」と言えば『五体清文鑑』を思い浮かべる人が多いであろう。『五体清文鑑』
(『御製五体清文鑑』)は、18 世紀末の中国清朝で皇帝の勅命によって編纂された満洲語、モ
ンゴル語、漢語、チベット語、ウイグル語の5 言語対照辞典で、全36 巻、約5,000 頁から
なる大冊である。1957 年に、中国の民族出版社から『五体清文鑑』上・中・下の3 巻本とし
て影印刊行され、研究者のよく知るところとなった(1998 年再刊)。
しかし、「清文鑑」というのは『五体清文鑑』だけでなく、18 世紀の清朝の時代に相次い
で編纂・出版された一連の満洲語辞典を指す名称である。それには対象とする言語の数と種
類も、収録語数も、また語釈や発音情報の有無、表記方法も異なる数種類の辞典が含まれる。
以下は、主要な7 種類の清文鑑を刊行の年代順に一覧にしたものである(注1)。
表1.主要な御製清文鑑
刊行年 名 称 言 語 語釈 項目数 本文巻数 総綱
[1] 1708 年
(康煕47 年) 「御製清文鑑」 満 有 12,110 20 巻 4 巻(4 冊)
[2] 1717 年
(康煕56 年) 「御製満蒙清文鑑」 満・蒙 有 12,110 20 巻 4 巻(8 冊)
[3] 1743 年
(乾隆8 年)
「御製満蒙清文鑑」
(満洲字表記) 満・蒙 有 12,110 20 巻 有(別本)
[4] 1771 年
(乾隆36 年) 『御製増訂清文鑑』 満・漢 有 18,654 正編32 巻
補編4 巻
正編4 巻
補編2 巻
[5] 1780 年
(乾隆45 年)
『御製満珠蒙古漢字
三合切音清文鑑』 満・蒙・漢 無 13,835 31 巻 無
[6] 不詳 『御製四体清文鑑』 満・蒙・
漢・蔵 無 18,667 正編32 巻
補編4 巻 無
[7] 不詳 『御製五体清文鑑』 満・蒙・
漢・蔵・維 無 18,671 正編32 巻
補編4 巻 無
* 東北大学東北アジア研究センター, kurib@cneas.tohoku.ac.jp
2
これらの清文鑑の中で、『五体清文鑑』は最後尾に位置し、最も多くの言語と、最も多くの
語彙を収録した、いわば清文鑑の集大成として位置づけることができる。このように、「清文
鑑」の代名詞になっていると言っても過言ではない『五体清文鑑』であるが、その原本は18
世紀末に手書きの写本として製作された後、他の清文鑑のように刻版印行されなかったため、
宮殿内に蔵されるのみで、ながらくその存在すら世間に知られることはなかった(注2)。本
稿では18 世紀の清朝の時代に編纂された清文鑑が、その後のモンゴル語辞典の編纂に与え
た影響を検討するが、『五体清文鑑』に関しては、この観点から取り立てて述べるべきものは
無い。
1.『四体清文鑑』の位置づけ
近代のモンゴル語辞典の編纂に大きな影響を与えた清文鑑としては、語釈辞典では康煕56
年(1717)序の「御製満蒙清文鑑」(および、その中のモンゴル語を満洲文字で表記した乾
隆8 年(1743)序の「御製満蒙清文鑑(満洲字表記)」)であり、対訳辞典では『四体清文鑑』
(『御製四体清文鑑』)を挙げるべきであろう。ここでは、対訳辞典の観点から、『四体清文鑑』
の特徴と位置づけを検討する。
『五体清文鑑』は、上述のように満洲語、モンゴル語、漢語、チベット語およびウイグル
語の5 言語対照辞典であるのに対して、『四体清文鑑』はそのうちウイグル語を含まない4
言語の対照辞典である。また、『五体清文鑑』では、チベット語とウイグル語に対して満洲文
字で発音表記を付しているのに対して、『四体清文鑑』にはそれらが無く、『五体清文鑑』と
比較して簡素な表記となっている。体裁上ではこうした違いがあるものの、両清文鑑は正編
32 巻(35 部292 類)、補編4 巻(21 類)という巻、分類の数と種類は全く同じであり、そ
こに収録されている語彙(項目)に関してもほとんど差異は無い。両者の違いは、『四体清文
鑑』に収録されていない項目(満洲語の見出し語)が『五体清文鑑』に4 つあるに過ぎない。
要するに、満洲語、モンゴル語、漢語の3 言語に関しては、両清文鑑は基本的に同じものと
みなすことができる。
『五体清文鑑』が上述のように写本として清朝内府に保管されて一般の耳目に触れること
が無かったのに対し、『四体清文鑑』は刻版・印行されて通行の清文鑑となった。こうして、
清朝の18 世紀末から1 世紀半以上にわたって、最新かつ最大の清文鑑とみなされていたの
は『四体清文鑑』であった。
『四体清文鑑』は、その後編纂される「モンゴル語辞書」に対して、次の2 つの面で大き
な影響を与えたと考えられる。第1 は、語彙項目の量と質に関係する。『四体清文鑑』は、
満洲語、モンゴル語、漢語、およびチベット語の4 言語を対照させて、18,667 項目を収録し
ている。(これが『五体清文鑑』より4 項目少ないことは上に述べた。)これは、それ以前の
いずれの清文鑑よりも多くの語彙を収録した辞典であった。特にモンゴル語についてみた場
合、1717 年序の「御製満蒙清文鑑」(および、1743 年序の「御製満蒙文鑑(満洲字表記)」)
と比べて6,500 項目以上多く、1780 年序の『御製満珠蒙古漢字三合切音清文鑑』と比べても
3
4,800 項目以上多い。清文鑑の伝統として、そこに収録されている語彙の種類は、官民の社
会、制度、文化、衣食住の生活、自然、動植物、人間関係、人間の動作・性質・精神生活に
至るまで、全ての分野を包括した百科全書的な性質のものであった。要するに、『四体清文鑑』
には、日常の言語生活にとって十二分な量と質の語彙が収録されており、モンゴル語辞書の
編纂にとって格好の材料が提供されていたと言うことができる。
『四体清文鑑』がモンゴル語辞書の発展に与えた大きな影響の第2 として指摘しておきた
いことは、項目を配列する体裁に関するものである。我々にとっては『五体清文鑑』で見慣
れた体裁であるが、『四体清文鑑』では「1 項目1 行」の形式が実現されている。『四体清文
鑑』の各頁は4 行からなる。各行は4 段に分けられ、上から満洲語、チベット語、モンゴル
語、漢語が置かれている(図1)。つまり最上段の満洲語を見出し語として、その下に訳語を
配し、1 行を1 項目としている。対訳辞書の場合には、見出し語の下に訳語を置くことは多
く行われるが、2 言語の対訳辞典では、大きな余白が出ることを避けて、2 項目、3 項目を1
行に配し、あるいは1 つの項目が行をまたいで書かれていることも少なくない。清朝時代の
満洲語辞典の中に、1 項目1 行の体裁を有するものは皆無ではないが(たとえば『欽定清語』)、
それ以前の清文鑑にはなかったものである。『四体清文鑑』で初めて採用された「1 項目1 行」
の体裁は、その後のモンゴル語辞書に範例として継承されることになった。
図1.『四体清文鑑』第1 巻
4
2.『三合便覧』の位置づけ
『三合便覧』は、1780 年の富俊の序をもつ満洲語、漢語、モンゴル語の3 言語対照辞典で
ある。全12 巻で、第1 巻には「序」「十二字頭」「蒙文指要」「清文指要」が収められ、第2
巻から第12 巻までが辞書の本体となっている。辞書の各頁は「1 項目1 行」の体裁で8 行が
収められている。各行は4 段に分けられ、最上段に満洲語(満洲文字)、第2 段に漢語(漢
字)、第3 段にモンゴル語(モンゴル文字)、そして第4 段(最下段)に満洲文字によるモン
ゴル語の読音が記されている(図2.)。
『三合便覧』の見出し語(満洲語)は字母(十二字頭)順に配列されている。表1.にみ
た一連の清文鑑は、すべて満洲語の単語を意味によって分類・配列した分類辞典である。満
洲語の字母順配列辞書としては、つとに康熙22 (1683) 年の序をもつ『大清全書』が知られ
るが、『三合便覧』は満洲語の字母順配列辞典の中で、はじめてモンゴル語の訳語を収録した
辞典として位置づけることができる。
『三合便覧』と『四体清文鑑』の緊密な関係は、今西[1966]によって詳らかにされてい
る。両者の最大の共通点は、満洲語、モンゴル語、漢語の3 種の語彙にほとんど差異が無い
ことである。これに加えて、両者の全体の構成が共通であることは注目に値する。つまり、
『四体清文鑑』全36 巻は、正編32 巻、補編4 巻から成っているが、『三合便覧』は第2 巻
から第10 巻までが『四体清文鑑』の正編に相当し、第11 巻と第12 巻が補編に相当する部
分で、それぞれが独立した字母順の配列となっている。
図2.『三合便覧』(1780)第2 巻
5
このように、『三合便覧』は『四体清文鑑』に基づき、その中から満洲語、モンゴル語、漢
語を抽出して、モンゴル語に満洲文字表記発音を付加し、それらの項目を字母順に配列して
成った辞書である。その際に、『三合便覧』が『四体清文鑑』に範を取って「1 項目1 行」の
体裁を実現したことの意義は、強調するに値すると思われる。それがこの後のモンゴル語辞
典に継承されていくことになるからである。
ちなみに、『三合便覧』における満洲文字によるモンゴル語の発音表記の大半は、『御製満
珠蒙古漢字三合切音清文鑑』に記されているのと同じものである。『三合便覧』では『御製満
珠蒙古漢字三合切音清文鑑』にあるものはそのまま採用し、そこに収録されていない項目
(4,800 以上)に関しては、同じ方式で新たに付け加えたものである。
意味によって分類・配列された大量の語彙を字母順に並べ替える際に、「1 項目1 行」の体
裁が作業の効率を大いに高めたであろうことは想像に難くない。行の途中で切れたり、行を
またがる項目が無いため、縦に1 行ずつを切り離し、同じ大きさの短冊とし、それらを字母
順に並べ替えて台紙に貼り付ければいいからである。『三合便覧』はこの意味で、『四体清文
鑑』の「1 項目1 行」の体裁を最大限に生かして編纂された辞典であると言うことができる。
3.『蒙古托忒彙集』の位置づけ
『蒙古托忒彙集』は、『三合便覧』の編者富俊の嘉慶丁巳(1797 年)の序をもつ多言語対
照辞典で、本文は字母順に配列されたモンゴル文語形(モンゴル文字)、モンゴル語口語形(満
図3.『蒙古托忒彙集』(1797)第1 巻
6
洲文字)、オイラート文語形(トド文字)、満洲語(満洲文字)、漢語(漢字)の5 種類の単
語を対照させている。手書き写本8 冊からなり、故宮博物院図書館に蔵される孤本である。
辞書の体裁は1 頁に8 行を配し5 種類の単語を「1 項目1 行」として並べている(図3)。最
上段のモンゴル語(見出し語)は字母(十二字頭)順に配列されている。
この辞書は、おそらくモンゴル語を見出し語として字母順に配列したものとしては世界で
も最も古い辞書として位置づけられるものであろう。しかしながら、これは手書き写本とし
て内府に蔵されて長らく世に知られることは無かったため、その後のモンゴル語辞書の編纂
になんらかの影響を与えたとは認めがたい。
4.『蒙文彙書』および『欽定蒙文彙書』の位置づけ
『蒙文彙書』は、賽尚阿による咸豊元(1851)年の序をもつモンゴル語、漢語、満洲語の
3 言語対照辞典で、全16 冊から成る写本である。辞書の本体は、1 頁に8 行が配され、各行
は3 段、上から順にモンゴル語、漢語、満洲語が置かれている(図4)。「1 項目1 行」の体
裁は、上に見た『四体清文鑑』、『三合便覧』と同様で、モンゴル語の見出し語は字母順に配
列されている。『蒙古托忒彙集』は世に出た形跡は認められないが、『蒙文彙書』は数本の写
本の存在が知られており、清朝時代に通行したモンゴル語の最初の字母順配列辞典と見なす
こともできる。『蒙文彙書』は私家版の書写本のみが知られ、刻版印行されたという情報はな
いが、光緒17(1891)年には『欽定蒙文彙書』として改訂版が刊行された(後述)。
『蒙文彙書』には、「蒙文倒綱」という題簽が付されている一本がある(筆者蔵)。これの
第1 巻冒頭には、賽尚阿による咸豊元年(1851)の序が置かれ、その中には「蒙文彙書」と
いう題名が書かれている。また、次のような書目の書誌情報や影印からも、これが『蒙文彙
書』と同じものであることが知られる。たとえば、盧秀麗・閻向東編著『遼寧省圖書館満文
古籍圖書綜録』(辽宁民族出版社、2002 年、192-193 頁)には、『蒙文彙書十六巻』として同
書の最初の頁の影印が掲載されている(192 頁)が『蒙文倒綱』の最初の頁はこれと同じで
ある。また、春花著『清代满蒙文词典研究』(中国蒙古学文库、辽宁民族出版社、2008 年、
332-336 頁)には、この辞書に関する比較的詳しい解題をみることができるが、『蒙文倒綱』
はそれと合致している。
『蒙文倒綱』という題名は、この辞書の成り立ちを表していると考えられる。「綱」は、清
文鑑の「総綱」すなわち、巻末に収録されている満洲語の索引を指している。この「総綱」
は、満洲語を字母順に並べた索引であることから、それを見出し語として、モンゴル語や漢
語の訳語を付せば字母順配列の満洲語辞典ができあがる。富俊の『三合便覧』(1780 年序)
がこのようにして編纂されたものであることは、上に見たとおりである。(モンゴル語や漢語
の訳語は、すでに『四体清文鑑』でできあがっている。)「倒綱」の「倒」は、満洲語の下に
置かれていたモンゴル語をひっくり返して、見出し語に置いた意味であろうか。「モンゴル語
を見出し語にして字母順に配列した索引式の辞書」がすなわち「蒙文倒綱」の意味するとこ
ろであろう。
7
図4.『蒙文彙書』(『蒙文倒綱』)(1851)第1 巻
『蒙文彙書』(「蒙文倒綱」)の序文の中で、編者である賽尚阿は「四體鑑」と「満蒙解語鑑」
を閲読して、モンゴル語を字母順に配列し、『清文彙書』の様式に倣って『蒙文彙書』を編成
した、と書いている。ここでいう「満蒙解語鑑」は満洲語とモンゴル語の対訳辞書で、康煕
56(1717)年の序をもつ「御製満蒙清文鑑」あるいは、そのモンゴル文字(モンゴル語)を
すべて満洲文字で置き換えた乾隆8(1743)年の序をもつ「御製満蒙清文鑑(満洲文字表記)」
のことを指すと考えられる。両清文鑑の内容は同じで、満洲語とモンゴル語で語の意味が解
釈・解説されているのが特徴である。「御製満蒙文鑑」は、収録している項目の数が12,110
と少なく、漢語の訳語も付されていないことから、『蒙文彙書』(『蒙文倒綱』)の編纂に際し
てはモンゴル語の語義の参照と確認に使われたものであろう。もう一方の「四體鑑」は、『四
体清文鑑』を指していると考えられる。
このように、『蒙文彙書』(「蒙文倒綱」)の序文では、『四体清文鑑』と「御製満蒙清文鑑」
を典拠として挙げているが、編者の賽尚阿は、『三合便覧』の誤記を正した『便覧正訛(便覧
訛字)』と、『三合便覧』に載録されていない語句を集めた『便覧補彙(便覧遺字)』の編者で
8
もあり、『三合便覧』と深く関わっていたことを見逃すわけにはいかない。『三合便覧』も『四
体清文鑑』に依拠していることは既に見たとおりであるが、その『三合便覧』の誤記を逐一
正し、不足を補った賽尚阿の立場からすれば、『三合便覧』を直接の典拠として挙げる必要は
無かったのかもしれないが、むしろそれだからこそ一層、『蒙文彙書』(「蒙文倒綱」)に対す
る『三合便覧』の影響の大きさが知られると言えるであろう。
* * *
『蒙文彙書』は賽尚阿の没後、理藩院の建議により『欽定蒙文彙書』として改訂を経て印
刻・刊行された。『蒙文彙書』が全16 巻であるのに対し、『欽定蒙文彙書』は、「原奏・官銜」
1 巻と本文16 巻の全17 巻からなり、原奏には「光緒17(1891)年」の日付が付されてい
る。辞書本体の体裁は、『蒙文彙書』と同様に1 頁に8 行を配し、1 行を3 段に分けてモンゴ
ル語、漢語、満洲語を対照させている(図5)。収録されている語彙も、基本的には『蒙文彙
書』と同じであるが、字句の追加・訂正、行変えなどの改訂が行われ、随所に「増補」の見
出しのもとに項目が追加されている。『蒙文彙書』が「欽定」の権威のもとに出版されて、こ
こに字母順配列モンゴル語辞典のひとつの規範が提供されることとなった。
図5.『欽定蒙文彙書』(1891)第1 巻
9
5.『蒙文総彙』(『蒙漢満文三合』)の位置づけ
『欽定蒙文彙書』の刊行年と同年の光緒17(1891)年には、『蒙文総彙』と題する私撰の
モンゴル語、漢語、満洲語の対照辞典が刊行された。木版印刷で全12 冊からなる。本文は
1頁が9 行から成り、各行にはモンゴル語、漢語、満洲語が3 段に並べられている(図6)。
見出し語のモンゴル語は字母順に配列されており、ここでも「1 項目1 行」の体裁が採用さ
れている。『蒙文総彙』の編者は、グシラマ李鋐(字は品三)である。同書の巻頭にはモンゴ
ル語、満洲語、漢語を並べた昭甫裕彰の序文が置かれている。
同じ年に刊行された『欽定蒙文彙書』と『蒙文総彙』という2 つの木版印刷のモンゴル語
辞典は、その体裁も内容も極めて類似している。いずれも「1 項目1 行」の体裁で、1 行を3
段に分けて、上段にモンゴル語、中段に漢語、下段に満洲語を配し、見出し語(モンゴル語)
を字母(十二字頭)順に並べている。収録されている語彙も、対応する漢語と満洲語の訳語
も共通するものが多い。『欽定蒙文彙書』では1 頁が8 行から成っているのに対して、『蒙文
総彙』では1 頁が9 行から成っている。このため、『欽定蒙文彙書』の本文の冊数は16 冊で
あるが、『蒙文総彙』は12 冊で構成されている。
図6.『蒙文総彙』(1891)第1 巻
『欽定蒙文彙書』と『蒙文総彙』の体裁と内容が類似しているのは、それらがいずれも先
行する『蒙文彙書』に基づいて編纂されたことに起因している。『蒙文総彙』には、編纂にあ
たって利用・参照した書目は挙げられていないが、『蒙文彙書』を拠り所をしたことは、収録
されている語彙の共通性から明らかである。
10
『欽定蒙文彙書』と比較して『蒙文総彙』の目立った特徴としては:第1 に、モンゴル語
の綴りに関して、『蒙文彙書』および『欽定蒙文彙書』では、母音字の前に位置する子音字 <G>
に一貫して点が付されず、子音字 <q> と同じ字形( )で書かれているのに対して、『蒙
文総彙』ではそれら(<G>)に点を付している。したがって、『蒙文彙書』および『欽定蒙文
彙書』では、 の見出し語の下に、「糠」と「兄」という漢語の訳が付されているが、『蒙
文総彙』では、(aG_a「糠」)、(aq_a「兄」)のように点の有無で表記を区別している。
第2 に、『蒙文総彙』では、中段の漢語の訳語に割注の形で語義の説明あるいは別の分か
り易い語句を補っている箇所が所々に見られることである。たとえば、図6.の左から4 番目
の項目の漢語訳「艌匠」の下に「艌船人」と割註を付し、5 番目の単語にも中細字で3 行の
割註で語義の説明が付されているように、各所にこのような語釈の説明が加えられている。
さらに、『蒙文総彙』と『蒙文彙書』を比較してみると、収録している項目に増減があり、項
目の配列にも異同が認められる。このように、『蒙文総彙』は賽尚阿の『蒙文彙書』に依拠し
ながら、内容を改訂・補足して成ったものであると考えられる。
図7.『蒙漢満文三合』(1913) 同じ光緒17(1891)年に刊行された
『欽定蒙文彙書』と『蒙文総彙』は、と
もに「清朝で最初に出版された字母順配
列のモンゴル語辞書」の栄誉が与えられ
るべきであろう。「欽定」の2 文字を冠し
た『欽定蒙文彙書』は、大きな権威の裏
づけをもっていたが、より広く世間に普
及したのは『蒙文総彙』であった。
『蒙文総彙』は民国2(1913)年に北
京の正蒙印書局から『蒙漢満文三合』と
して石版印刷で再版されている。元の判
型(19.4×25.8cm)がひと回り小さくな
り(12.6×20cm)、各冊に図7.のような
表紙を付けたほか、元の序文の後にモン
ゴル語(2 丁4 頁)と漢語(1 丁2 頁)
の序(内容は同じ)が加えられている。
それ以外は、『蒙文総彙』と全く同じで、
影印復刻本とみなすことができる。この
ように版を重ねたことから見れば、『蒙文
総彙』は近代におけるモンゴル語辞典と
して大きな需要があったことが窺われる。
11
6.『蒙文分類辞典』と『蒙漢字典』
『蒙文分類辞典』(上下2 冊)は民国15(1926)年に、『蒙漢字典』(上下2 冊)は民国17
(1928)年にいずれも北京の蒙文書社から出版された活字版のモンゴル語辞典である。
『蒙文分類辞典』(上下2 冊)は、『四体清文鑑』の正編(第1 巻~第32 巻)、もしくは『四
体合壁文鑑』の分類項目をそのままに、モンゴル語と漢語を抽出して対訳の形で並べたもの
である( 図8 )。のちに       (mongGul udq_a-yin jUil
qubiya=Gsan toli bicig 蒙文分類辞典)として、1956 年に民族出版社・新華書店から、袖珍本
の形で出版された。この辞典の典拠が『五体清文鑑』でないことは、『五体清文鑑』で追加さ
れた語彙が含まれていないことから分かる。『清文鑑』がそのまま、モンゴル語の分類辞典と
なり、漢語がその訳語として使われたものである。
図8.『蒙文分類辞典』(1926) 図9.『蒙漢字典』(1928)
『蒙漢字典』(上下2 冊)は、『蒙文総彙』もしくは『欽定蒙文彙書』によりながら、モン
ゴル語と漢語を抽出して対訳の形で並べたものである(図9)。収録されている語彙は『欽定
蒙文彙書』の「増補」の語彙を含むなど、『欽定蒙文彙書』と共通している点が多くみられる
が、モンゴル文字の表記と配列では、『欽定蒙文彙書』とは異なり、<G>(点あり    )
と <q>(点なし   )を別の文字として扱っている。
『蒙文分類辞典』(上下2 冊)も『蒙漢字典』(上下2 冊)も、活字印刷で近代的な装いを
しているが、それらのルーツは直接的・間接的に「清文鑑」(とりわけ『四体清文鑑』)に求
12
められることは明らかである。皮肉なことに、これらのモンゴル語辞書は、満洲語の辞典で
ある「清文鑑」に由来していながら、満洲語を削除することによって成立している。このこ
とは、「清文鑑」の終焉を象徴的に示していると言うことができるが、そこに体現されている
のは紛れも無い「清文鑑」の伝統である。

(1) 黄[1957(1998)]、今西[1966]等をもとに作成した。項目数は筆者の調査による。「刊
行年」は「序」に記されている年号による。「名称」は 漢語題名を『 』に入れ、漢語題
名の無いものは「 」に入れた。「言語」の略語は次の通り:「満」=満洲語、「蒙」=モ
ンゴル語、「漢」=漢語、「蔵」=チベット語、「維」=ウイグル語。ウイグル語は、アラ
ビア文字で書かれたチュルク系の言語を指す。「総綱」は、本文の見出し語を字母順に配
列した総索引のことである。
(2) 現在、『五体清文鑑』には3 種類の書写本があることが知られている。そのうちの2 本
は北京故宮博物院にあり、1 本は大英図書館に保管されている。今西[1966:160-161]、
栗林[2008b:8-12]を参照。
参考文献
今西春秋「清文鑑 ― 単体から5 体まで」朝鮮学会『朝鮮学報』第39-40 輯、1966、121-163+11-1
頁。
栗林均 「モンゴル語資料としての『清文鑑』」東北大学東北アジア研究センター『東北アジ
ア研究』第12 号、2008a、1-34 頁。
栗林均「多言語分類辞典『御製五体清文鑑』の利用に関する覚書」島根県立大学北東アジア
地域研究センター『北東アジア研究 別冊:北・中央ユーラシアにおける異文化の波及
と相互接触による文化変容の歴史的研究』2008b、7-25 頁。
栗林均編『「蒙文総彙」-モンゴル語ローマ字転写配列-』東北大学東北アジア研究センター、
2010。
田村實造、今西春秋、佐藤長(共編)『五體淸文鑑譯解(上・下巻)』京都大學文學部内陸ア
ジア研究所、1966。
春花《清代满蒙文词典研究》辽宁民族出版社,2008。
黄明信「有關五体淸文鑑的一些历史材料」《五体清文鑑》(民族出版社)下冊末尾,1957(1998
重印),1-7 页.
盧秀麗・閻向東編著《遼寧省圖書館満文古籍圖書綜録》辽宁民族出版社,2002。
《五体清文鉴》(上、中、下共三册),民族出版社,1957(1998 重印)。

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